「私にできるだろうか」と悩むのは時間の無駄
新しいプロジェクト、
転職のお誘い、
興味があった副業の情報、
新しいことを始められそうなチャンスが目の前に現れた時、私はいつも
私にできるだろうか
と、何日も思い悩む人だった。
できるか、できないか
それを問題にしていた。
でもそれは、
今の自分の能力で
今の自分の知識量で
今の自分のネットワークで
できるかできないかを考えているだけ。
その新しいことは、
その世界に身を置くことで吸収していく
新しい能力、
新しい知識量、
新しいネットワーク、
でこなしていくのだ。
つまり、今のレベルの自分で「できるか、できないか」ではなく、新しく進化した自分が「やる」ことなのだ。
もちろん、
その新しい環境に身を置いただけでは進化しない。
そこで色々な影響を受け、ヒントを得、さらに勉強して習得していく。それにより出来上がるのか、進化した自分なのだ。
だから、
「わたしにできるだろうか」
の問いは、
「わたしは新しい環境で努力をするだろうか」
の問いでもある。
そこを混同してはいけない。
私は、混同してぐるぐると出口のない迷いに身を置き、新しいことにしり込みしていた自分とお別れした。
今は、チャンスが来たら「やるか、やらないか」の選択で考えている。
「やる」と決めて飛び込んだ世界で私は未だに後悔したことはない。そして何より満足しているのは、「やる」前より自分が進化したと感じられている点だ。
できるだろうか?と悩むのはもったいないことだ。目の前のチャンスで自分を進化させたいか、今までの自分のままでいくのか、それを選択しているのだととらえてみよう。
一度しかない人生だ。
まだ見たことのない自分になってみては?