仕事好きなわたしのブログ

仕事にまつわる様々な問題やヒントを書いています

どう生きるかって問題は、何に自分の時間を使うかってこと

このところ、自分の中にあったネガティブな心情から自分が脱してきたような感覚があり、それはなぜかな?と考えたら「時間の使い方が変わったから」なんだなあって思った。

【目次】

1 自分の中の悪感情と、その処理について


最近、自分について気づいたことがある。

少し前まで、何かと心に充満しがちだった不平・不満や他人への苛立ち。
それらの感情は、ほぼ自動的にこみ上げては、それを考えないではいられなくしてしまう。
生理的な排出活動として「愚痴」「悪口」という形で言葉で出ていく。
でも、その排出は決して気分爽快なものではない。
その場の感情の吐き出しとしてはその瞬間は楽になるけれど、

「ああ、またか・・・」
「生産性ないなあ」

と、凹むことになる。
本来の整理的機能としての排出は「スッキリ!」を伴うのにね。

それって、悪循環。誰にとって?自分にとって。

じゃあ、聖人君子のように一切吐き出さないのが良いのか?と考えるけれど、それも違うと思っている。

私は、心の中にあることに無理矢理蓋をして、まるでそんなことを感じていないかのように振る舞う「いい人」について、素敵だと思えない。
それは、自分に嘘をついているし、無理をしているし、蓋をされている自分の感情を疎かにしていると思うから。

そんな人たちはなぜ蓋をするのか?というと、「いい人と思われたいから」があったりする。その目的のために、自分がリアルに感じているものを無視してしまう。無視された感情は行き場がなくなってしまう。そして、どんどん辛くなるんだ。
これまた悪循環。

だから私は、悪感情はある程度吐き出したほうがいいと思っている。
でも、それは時と場所と相手を選んでね。

2 悪感情に割いている時間はどれくらい?

ところで、不平・不満・悪口などが頭や心にこみ上げてきている時間て、1日のうちどれくらい?

誰かから理不尽なことをされていたり、劣悪な環境にいたりしたら、それについての嘆きや怒り、悲しみといった心情は1日の多くの時間私たちを支配してしまうだろう。

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連続的ではなくても、瞬間・瞬間で心の昇ってくる悪感情を、トータルで計算すると、「1日のうち、こんなにもアイツのことを考えていたのか!?」となるだろう。

そしてそれをトータルしていくと

一ヶ月で何日?
一年で何年?

そうすると、

「え?私の人生のこれだけの時間を、こんなことに使われているの!?」と愕然としてしまう。

3 人生は「時間」

冷静になってそう考えると、なんとももったいないのだ。

私はもう50代。
やりたいこともたくさんあるし、思索が好きなのにその時間を不平不満と悪口にばかり使ってしまっていては勿体無い。というか、そんな余裕はないのだ。時間は有限。
これだけは、誰にも平等な真実。

だから、悪感情を抱かないようにするとか、いい人になるとか、忘れる、とか、そんな心理的・道徳的なことではなく、私は客観的事実としての「自分の時間を有意義に使いたい」にフォーカスすることにした。

だから、いい人になる努力もしないし、こみ上げてきた不満を慌てて蓋することもしない。そういうことにフォーカスすると、結局はそれを意識してしまうし。

だから、時間を他のことに使うようにした。

例えば、

・以前から興味のあった学会に参加してみる
・苦手で敬遠してきた論文指導を叱られるの覚悟で受けてみる
・隙間時間には、めんどくさいけどステッパーとプランクを間髪入れずやってみる
・ネットでいつもは見ないジャンルのものを見てみる


新しいことや、今までやっていなかったことにちょっとずつ時間を使っていくと、新たな発見や面白さ、また「へー、私ってこういうこともできるんだなあ」と、いつの間にか自分に勝手に限界を設けていたことも気づいたりする。そして、それらのことを優先的に考えるようになる。ワクワクする。

なんか、毎日が少しだけ躍動的になってきた。
そして、いつしか悪感情が浮かんでくる時間が減っていた。


そんな時、同僚とランチした。
彼女は2年前から同じことを同じだけ言い続けている。
職場の不満だ。
気の毒な状況でもあるけれど、彼女自身もそれを変えようとしない。
ただただ、常に多くの時間を悪感情の吐き出しに使い、それ以外は溜め込んでいる。

私は急に彼女が小さく見えた。
そして気の毒になった。
彼女は、この2年間何も身につけずただただ辛い気持ちに支配されているだけだった。

もったいない。

心から思う。

もったいない。

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人生は時間の連続。しかも有限だ。
それを何に使うのかはどう生きるかに等しい。

生きて入ればいいこともそうでないこともある。でも、限られた時間をどんなことにフォーカスして過ごすかで、意義ある人生になるか否かが決まっていってしまう。


フォーカス先を変えた今、私はあいかわらず「いい人」ではないが、とても楽だし、ちょっとだけ穏やかになったと思う。