仕事好きなわたしのブログ

仕事にまつわる様々な問題やヒントを書いています

「反対するなら代案を出せ」

いつも読ませていただいているブログで、いつもにも増して唸らされた。


from40simple.hatenablog.com

「ゴール」まで考える、そのことの重要性。


この記事を読んでいて、大学院時代の教授のある言葉を思い出した。

【目次】

「反論があるなら代案を出せ」

30代はじめ、若い方々にまじって大学院に進んだものの、今思えば勉学に対するストイックな意志も薄いままだった。そんな私にその言葉はナイフのような切れ味をつきつけた。


それから20年ほど、いろいろな職場で働く中で忘れていたのだが、ここ数年はとてもクリアに思い出される。


会議や打ち合わせをしていると、ただただ「反対意見」を述べ続ける人がいる。「で?」と問うとそのさきの考えは返ってこない。

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往々にして、そういう人たちはその職場でけっこう重鎮だったりキーパーソンだったりする。その重要なポジションにいる人が「反対」するのでいったん議論は止まってしまう。しかし「で?」の先の「だからこうするとよいと考えている」が出ないので、永遠にそこで滞留し、議論はいつしか迷子になる。


つまり、仕事が進まないのである。

反対ばかりする理由


だから私は、その反対の論拠を確認するようにしている。
すると、意外とないのである。


・なんとなくそう思うから
・やらない方がいいと思うから
・前例がないから
・それやろうとすると大変だし

すべてが主観に基づいているのである。


私の経験上で恐縮だが、主観で反対してくる場合はその人の中に

・やったことがないことへの怖さ
・うまくやれるかわからない不安
・ゴールまでの道筋が自分ではひけない自己嫌悪
・「変化」への戸惑い


があると感じている。

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pixabay

だから、その一つ一つを事実や具体案を提示することによって、彼らが見えていないであろうものをクリアにしていく。

すると徐々に表情が柔らかくなる。
安堵感が顔に現れ、関心を持ってくれ始め、希望が芽生えていく。さっきまで反対だった人がいつのまにか一番の協力者へと変貌したりする。

未知の提案に対する主観的な不安や怖さを具体的に取り除くことで安心に変わり、ようやく議論の席につけるのだ。

同じ土俵での反対意見は貴重

私は反対意見や反論がいけないとは思っていない。むしろ、物事を本質的に検討するならば不可欠なものだと思っている。「いいですね」だけでは吟味のない安易な賛同の産物にしかならない。そういう意味で反対意見を出してくれるメンバーは貴重なのだ。

ただ、その反対意見や反論が根拠を伴わない感情的なものだったり、その問題そのものにコミットすることを敬遠しているためのものであれば、それは話し合いの土俵に乗っていないことになる。

だから、土俵に乗ってもらう。
土俵に乗れる工夫をこちら側が行う。
同じ土俵で対等に、賛成派も反対派が論拠と構想を示す。

裏打ちされた意見というものがあってはじめて「仕事」となるのだ。

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