「効率化」を誇る上司…実はマルチタスクができないだけだった
私は「仕事の効率化」とか、「時短」とかには基本的に賛成だ。無駄が多いのは嫌い(笑)。
情報が溢れる現代では効率化は必要なことであり、そのスキルも身につけるべきだと思っている。
効率化を掲げて意識的に行動する人には好感が持てる。
しかし、どうすることが効率化なのかは人によってこうも違うのか・・・・と愕然とした出来事があったので紹介したい。
【目次】
スマートな上司に期待!
私の職場に「効率化」を推進するいかにもスマートそうな上司が着任した。
彼は柔和な笑みを浮かべ、物腰やわらかで、
「できた若者」という印象。
「皆さんの負担を軽減します!」
をキャッチフレーズに、改革をするとのこと。
おおおおー!ありがたやーーーー!
私は大いに期待した。
若いのに見上げたものだ、と年寄り気分で目を細めながら期待した。
効率化なのに増える負担の謎
だが、
おかしい。
何日経ってもいっこうに私の負担は減らない。
というか、むしろ増えている。
おかしい・・・
「えー、こういうふうに分担を変更しました!」
またもや爽やかな笑顔とともに改革の発表だ。
たしかに新たな分担表を見る限りは作業は減っているし、とてもスリム化されている。
しかし
実際にはなんやかんやと後手後手にまわり、その尻拭い的な作業が発生し、かえって時間と労力が無駄に費やされてしまっているのだ。
それって効率化じゃないよね?
はて???
つまり、仕事の細部まで理解した上での効率化にはなっていかなったのである。
ただただ、表面的な作業だけを見て、それを仕事の全体だと思い、単純に減らしただけだったのである。
私はいたく失望してしまった。
とてもイケてるスリムな上司は、その日から残念で凡庸な若者にしか私にはうつらなくなった。
彼の「効率化」推進の本当の理由
そして、さらなる事実を私は発見した。
それはとある会議での資料。
彼はいつもながらに
「効率化のために本資料もこのようにシンプルに致しました!」
それを見た瞬間、私は気を失いそうになった。
その資料たるや、こどもの連絡帳レベル。
重要なものや必要なものまで削がれており、なんのための資料なのかわからなくなっている残念さである。
そこで私は、彼の「効率化」推進の本当の理由に気づいてしまったのだ。
彼自身が複雑なマルチタスクが苦手なのである。
単純化しなければ理解できないのである。
だから「効率化」の名の元に自分が理解できるレベルに落としていたのである。
それを、「効率化できている」=「仕事デキル」とどこかで勘違いしてしまったのだろう。
その日から私の中で彼は問題外の人となった。
仕事の効率化には前提があるんだな。そもそも効率化ってその仕事のことをしっかりと的確に理解していないとできないことなんだな。
いやー、勉強になりました!(笑)