いじめ問題も片付け問題も、精神論でない考え方が必要ではないかな
春になってきましたねー。
春ってほんと、植物が美しい。
神奈川県足柄上郡松田町の「さくら祭り」↓
写真上手くないので美しさをリアルにお届けできませんが
桜の見事さに天使も嬉しそうに羽を広げています🤗。
花だけじゃありませんよ。
近所の、なんてことない側溝なのですが、
水が綺麗なのでしょうね、
緑がぐんぐん育っています。
生命の季節だなあ、と毎年思います。
目次
減らない「いじめ」
さて、
私は最近、「いじめ」が減るには?を一人で考えているのですが、「いじめ」については長らく(今も)教育サイドでは「共感する心を育てる」ことで対応しようとしてきていて、その有力な手段として道徳教育が重要視されいるんですよね。
でも減らないんです。この長い歴史の中で、なくならないんです。それは、大人の世界も同じなんですよね。
共感とか精神論に傾きすぎでは
で、なぜ減らないのか?って考えて調べていくと、
脳科学的な知見からは脳の機能や構造的にも指摘されているし、
社会学的な知見からは政策や制度面での指摘がなされている。
つまり、
こどもたちに「思いやりを持ちましょう」と、問題の解消を個々人に帰属させるのって限界ありすぎなんですよね。
もっと環境的というか、物理的な面で思い切って転換しないとなくならないんじゃないかって思っています。
具体的にはどうするの?っていうのはこれから整理なんですけど、要は、
・心の問題にしすぎない
・精神論で語らない
・情操面頼みにならない
って視点が必要かと。
意欲って、環境があってこそ生まれる
これって、いじめ問題にかかわらず、人の「意欲」の問題でも同じ気がしていて、ただただ「やる気出せ!」って喚起しても難しい。それってやっぱり個々人に任せてしまうってことだから。
例えば、広大な砂漠のような、はたまた暗い押入れの中のようなところで本やスマホなどもなく、ただ一人で佇んでいても「意欲」って湧きようがないんですよね。本とか情報とか、人との関わり合いとかが脳に刺激を与え、思考に影響をもたらし、「こうやってみようかなあ」「これってどうかなあ」って、「意欲」を萌芽させるんですよね。
だから、
個々人の心は大事だけど、そこ頼みにせず、やっぱりいろんな面での環境つくりが大事なんじゃないかなって思っているんです。
「気持ち」が自然と行動化できる環境作りが必要
自然とその気になるような環境作り。
これって、いろんなジャンルの人の力借りられそうですよね。
インテリアの影響力、文具小物の魅力、タイムテーブルの工夫、人的な構成面での知恵・・
などなど。
そう考えてるだけでワクワクします。
理想は「いつのまにか楽しくなってた」「いつの間にかいじめが減っていた」っていう現象の発生。
かくいうワタクシも、散らかり放題な我が家に佇む毎日。
「いつの間にか片付いていた」になるシステムとしての環境が欲しいーーー!