仕事好きなわたしのブログ

仕事にまつわる様々な問題やヒントを書いています

精神論と科学の使いどころを間違えない

自粛期間中ですが、本日は出勤日。
不織布マスクは買えないので、苦手なお裁縫で作った手作りマスクで(縫い目ガッタガタ)いざ出陣です(^◇^)/ 〜
なぜ常勤は在宅ワークなのに、非常勤は出勤なの???
と、先週来イライラはしておりますが・・Σ(-᷅_-᷄๑)

・・・いったん、置いといて・・・

さて、最近、コロナ禍で考えたこと、行動したことを書いておりますが

www.soramachi.work
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今回はもっと真面目に。

コロナ対策で成功していたり、国民からの支持を得られている国のリーダーというのは、精神論と科学、テクノロジーといった具体をちゃんと分けて両立させているように思う。

ニューヨーク市長やドイツのメルケル首相など、具体的数字やリーダーとして民を守る強い意思、そのための曖昧なお願いではなく具体的な行動と制限の提示がわかりやすく伝わってくる。


コロナ対策でドイツメルケル首相の全ドイツ国民に向けたスピーチ(日本語訳付き) Oster- Ansager von Merkel mit japanischem Untertitel


日本には曖昧であることや察するといったことで独自の文化や芸術を生んできた側面があるので、それが一概に悪いとは思わないけれど、非常時に「曖昧なまま」は代償が大きすぎるし、何より「国民を、国を守る」ことが達成されない。

精神論が無用というわけではないけれど、平時ではそれで済むことも非常時では歯が立たなくなる。相手はこちらの意思や精神とは次元の違う領域のものだから。ならば、その領域の専門性(科学やテクノロジー)が最新で安全な環境で対峙できるよう整えていくことが具体的な行動ではないだろうか。

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医療、疫学、看護、公衆衛生、介護。
いつ「あっ」という間に命が悪化するかもしれない最前線の現場の環境を物理的に物質的に具体的に整えていくことが必須だ。残念ながら間に合っていない現状がある。
そこを曖昧にしたままの精神論はどこか無責任だ。
平時と非常時のメッセージのあり方、行動のやり方は違っていて当たり前だろう。状況が違うのだから。その状況に一番沿った言葉を意思表明と具体策・行動に国民は支持するのだと思う。


さて、私は私のできるささやかで最大な「具体」を今日もやろう。

・マスク必須(たとえ縫い目ガタガタでも)
・通勤にも公共交通機関避ける(たとえガソリン代が自腹でも)
・買い物頻度は可能な限り小さくする(冷蔵庫とにらめっこの日々)
・自炊する(外食死ぬほど好きだけど)
・外勤がない今を活用して必要な資料をバンバン作る(やってやる〜!)
・宅配物を運んでくださる方に優しくする(いつもですよ♪)

よしっ!